2016年06月25日
東北地方へ【交通政策学習会】に行きました。(その7)
2016年6月13日、東日本大震災で発生した大津波の被災地・女川町へ惨状と復興の様子を見学した労働組合の研修旅行【交通政策学習会】御一行は再び仙台駅に到着すると当社の貸切バスに乗り換え、東北最大の都市・仙台市から伊豆への長い帰路に就きました。
一行は仙台市内ホテルで昼食を取ってから昼食は取っておらず、この日遅めの昼御飯は仙台市内の人気店【伊達の牛たん】で本場・仙台の牛タンを堪能しました。
牛タンを堪能した御一行、その後は東北自動車道~首都外環道~東名高速道路を6時間以上走り続け、途中数ヶ所のPA&SAで最小限の休憩時間を取っただけにも関わらず、沼津営業所の到着は21時を過ぎていました。
参加者の皆さん、そしてドライバーさん、長い旅路お疲れ様でした。 続きを読む
一行は仙台市内ホテルで昼食を取ってから昼食は取っておらず、この日遅めの昼御飯は仙台市内の人気店【伊達の牛たん】で本場・仙台の牛タンを堪能しました。
牛タンを堪能した御一行、その後は東北自動車道~首都外環道~東名高速道路を6時間以上走り続け、途中数ヶ所のPA&SAで最小限の休憩時間を取っただけにも関わらず、沼津営業所の到着は21時を過ぎていました。
参加者の皆さん、そしてドライバーさん、長い旅路お疲れ様でした。 続きを読む
2016年06月23日
東北地方へ【交通政策学習会】に行きました。(その6)
2016年6月13日、初日は伊豆から出発してバスで東名高速~首都外環道~東北自動車道を通り東北最大の都市・仙台市に到着し、その翌日は仙台から東北本線~仙石線~石巻線を列車で乗り継ぎ、2011年3月11日の東日本大震災で発生した大津波の被害を受けて町全体が壊滅的な被害を受けた被災地の一つ【宮城県女川町】に到着しました。
津波を受け壊滅的な被害からの再建と復興を進めている女川町の様子を高台にある女川地域医療センターから見学、その被害の甚大さと再建をしなければならない広大な土地を目の当たりにしたバス労働組合の研修旅行【交通政策学習会】御一行、ここに長く留まる事が出来ずに帰りの石巻線を待つ間、新たに線路を付け替え駅舎も再建させた女川駅の様子を見学することにしました。
おそらく3月11日に発生した大津波の直撃を受け周辺の建物と共に壊滅してしまい、新たに再建させたと思われるJR石巻線の終点【新・女川駅】の内部を見学しました。
外観は無地の木を生かしたナチュラルでシンプルな雰囲気を持った駅舎ですが、東日本大震災前の位置より約200メートル内陸に移動され地盤がおよそ7~ 9メートルかさ上げされた場所に移設されたそうです。
また鉄骨3階建ての建物に駅舎と町営の温浴施設【女川温泉ゆぽっぽ】が合築され、建築家の坂茂さんが設計を担当したました。特徴的な白く大きな屋根は【羽ばたくウミネコ】をイメージしているそうです。
女川町が【復興のシンボル】として総工費8億5,000万円をかけて建設し1階が駅、2階が浴場、3階は展望フロアとなっていて、1階は改札と売店を併設、そして2階には全国の駅舎でもきわめて珍しい日帰り温泉【女川温泉ゆぼっぽ】が設置されていました。
新しく再建された【JR女川駅】は単にJR石巻線の終着駅の機能だけではなく、女川地区を訪れる観光客の買物に配慮しつつ、また地元住民の憩いの場としても活用が出来る様になっていました。
こうして短時間ながら東日本大震災の被災地の一つである女川町を後に、再び仙台市への帰路に就いた【交通政策学習会】の御一行でした。 続きを読む
津波を受け壊滅的な被害からの再建と復興を進めている女川町の様子を高台にある女川地域医療センターから見学、その被害の甚大さと再建をしなければならない広大な土地を目の当たりにしたバス労働組合の研修旅行【交通政策学習会】御一行、ここに長く留まる事が出来ずに帰りの石巻線を待つ間、新たに線路を付け替え駅舎も再建させた女川駅の様子を見学することにしました。
おそらく3月11日に発生した大津波の直撃を受け周辺の建物と共に壊滅してしまい、新たに再建させたと思われるJR石巻線の終点【新・女川駅】の内部を見学しました。
外観は無地の木を生かしたナチュラルでシンプルな雰囲気を持った駅舎ですが、東日本大震災前の位置より約200メートル内陸に移動され地盤がおよそ7~ 9メートルかさ上げされた場所に移設されたそうです。
また鉄骨3階建ての建物に駅舎と町営の温浴施設【女川温泉ゆぽっぽ】が合築され、建築家の坂茂さんが設計を担当したました。特徴的な白く大きな屋根は【羽ばたくウミネコ】をイメージしているそうです。
女川町が【復興のシンボル】として総工費8億5,000万円をかけて建設し1階が駅、2階が浴場、3階は展望フロアとなっていて、1階は改札と売店を併設、そして2階には全国の駅舎でもきわめて珍しい日帰り温泉【女川温泉ゆぼっぽ】が設置されていました。
新しく再建された【JR女川駅】は単にJR石巻線の終着駅の機能だけではなく、女川地区を訪れる観光客の買物に配慮しつつ、また地元住民の憩いの場としても活用が出来る様になっていました。
こうして短時間ながら東日本大震災の被災地の一つである女川町を後に、再び仙台市への帰路に就いた【交通政策学習会】の御一行でした。 続きを読む
2016年06月23日
東北地方へ【交通政策学習会】に行きました。(その5)
2026年6月13日、宮城県女川町を訪れた【地域交通政策学習会】御一行、続いて町の高台にある【女川町地域医療センター】に移動して2011年3月11日東日本大震災で女川町を襲った大津波に見舞われながら、しかし順調に復興が進む被災地の一つである女川町全体を眺める事が出来ました。
東日本大震災で発生した大津波を受けた女川町始め東北地方の太平洋側の町が受けた被害の規模の大きさは想像を絶するものでしたが、同時に官民一体となって莫大な費用をつぎ込んて進む復興事業の早さにも驚きました。ただ町全体が被災した東北地方の太平洋沿岸全体が完全に復興するには更に何十年も要するでしょう。
この状況を見て【東北への支援で自分が出来る事】を改めて考えました。正直、東北地方には何ら親族も主たる友人もおらず、復興支援で汗を流したりボランティアとして被災地を訪れる方も多いと思いますが、自分としてはあえて【伊豆で普通の生活をしながら観光でお金を落とす】が地味ではありますが、確実に支援が出来ると信じています。仮にギターを持って行ってもたたのアマチュアミュージシャンの演奏では東北の人は喜ばないと思います。
ただ今回、一泊二日の強硬スケジュールで被災地に直足を踏み入れたり他の被災地を訪れる時間的な余裕はなく、また後のスケジュールも詰まっていたので再び女川駅に戻りました。 続きを読む
東日本大震災で発生した大津波を受けた女川町始め東北地方の太平洋側の町が受けた被害の規模の大きさは想像を絶するものでしたが、同時に官民一体となって莫大な費用をつぎ込んて進む復興事業の早さにも驚きました。ただ町全体が被災した東北地方の太平洋沿岸全体が完全に復興するには更に何十年も要するでしょう。
この状況を見て【東北への支援で自分が出来る事】を改めて考えました。正直、東北地方には何ら親族も主たる友人もおらず、復興支援で汗を流したりボランティアとして被災地を訪れる方も多いと思いますが、自分としてはあえて【伊豆で普通の生活をしながら観光でお金を落とす】が地味ではありますが、確実に支援が出来ると信じています。仮にギターを持って行ってもたたのアマチュアミュージシャンの演奏では東北の人は喜ばないと思います。
ただ今回、一泊二日の強硬スケジュールで被災地に直足を踏み入れたり他の被災地を訪れる時間的な余裕はなく、また後のスケジュールも詰まっていたので再び女川駅に戻りました。 続きを読む